数式

数学は暗記科目なのか?

「社会科目は暗記だけど理系科目は暗記じゃないから苦手……」という話はよく聞くところではあるが、理系科目、特に文理ともに学校で習う程度の数学は、間違いなく暗記科目である。

学校で習うレベルから、センター試験や千葉大のような地方国公立大学レベルの数学までは、全部解法パターンの暗記で解けるのである。例えば、上記の◯三つ付くまで問題集を周回する解き方を実践して、学校でもらう問題集を一冊解き終えたなら、学校のテストは90点を超えるし、青チャートや一対一対応のような、中堅どころの問題集なら、千葉大クラスの2次試験にも合格できる実力をつけることができる。問題集に載っているような典型問題は、最重要だから載っているのであり、逆に、その解法パターンを暗記して武器にしてしまえば、千葉大クラスの2次試験はそれほど難解な問題は出題されないため、問題集で見た問題の復習くらいの気持ちで解くことが出来る。

数学が暗記だけで対応できない理由

しかし、それ以上の旧帝大一工クラスの最難関大の数学は、暗記だけで片付けることはできない。あらゆる典型問題を暗記した上で、その解法パターンという武器をどう使えば問題に立ち向かえるか思考する応用力が必要とされるからである。難関大志望の生徒が、センター試験レベルの問題は夏までにおおよそ解けるようになっていて、夏から2次試験の応用問題に取り組み始める必要があると言われるのは、数学的な思考力を鍛えるのに時間がかかるからである。

では、数学は基本的に暗記科目だという理解の上で、「それでも数字が変わってしまうと解けない」「数学は仮に問題を暗記しても計算が苦手」という場合について説明する。まず、数字は論理的な言語だということを理解しておきたい。社会科目はなぜ暗記すれば点が取れるのだろうか。〇〇に対する答えは〇〇と決まっているからだろうか。そういった次元の以前に、アウトプットする記述言語が日本語だからである。

〇〇さんが行った〇〇について30字以内で説明せよ、と言われたら、頭の中で論理立てる思考ベースも日本語だし、まとめたものを記述する言語も日本語である。そこに不自由する人はなかなかいないはずだ。しかし、数学だと話は違ってくる。数学は数学それ自体が論理的な言語なのである。

例えばよくある二次関数の問題で、最大値最小値を軸の範囲によって場合分けして求めるような問題があったとする。最大値最小値を求めるにはどこが一番高くなるか、低くなるか考える必要がある→軸をどう動かせば高いところが出せるか→その時の軸の範囲はどうなるか、と論理的な流れを踏むことになるが、数学的な流れを考えるには思考ベースを数学言語にしなければならないし、そこから得られた解答をつらつらと記述していく言語も数学なのである。

数学の大きな壁

ここに数学が苦手な人の大きな壁があるように思われる。

先程の、数字が変わってしまうと問題が解けない人は、数学的な思考ができていないため、「解法パターン」を覚えるのではなく、いわば「解答パターン」のような表層的な文字列をただ覚えているだけだと考えられる。

前述の通り、数学は論理的な言語であるから、文字列を覚えたところで、その過程に至る解法という論理を覚えなければ意味が無いのである。そのため、数学は暗記科目だと再三述べているが、解答を暗記するのではなく、何をどう求めて、どう式を変形したら答えが出てくるかという数学的な論理に沿った解法を覚えることを意識したい。

英語に例えるならば、SVOの構文も取れない人が、英語の長い文章をひたすら覚えさせられる苦労に似ているかもしれない。

勿論、英単語帳の例文や型を覚えることで、単語と前置詞の正確な使い方を理解することは、英作文に欠かせないスキルではある。しかし、学校の定期テストで、教科書からの穴埋めのテストが出るからといって、教科書の全文を意味も分からないまま暗記したとしても、もし穴埋めではなく、同じ意味になる単語を入れなさいという言い換え問題がでてきたら、一切太刀打ちができないのは想像に難くない。

そのため、英語であればまず文章の基本構成が分かるようになったあとで、英語だとこういう言い方するんだ、ああいう言い換えもあるんだ、と暗記していくのが自然な流れのように、なぜその値を求めようと思ったか、どうしてそれを出した後にこの式を変形したのかという解答の基本構成の理解に努めたあとで、全体の解法の流れを暗記していくというのが、数学の自然な流れと言えるのではないだろうか。

次に、数学の計算が苦手という人は、計算が言語の記述にあたることを理解して、計算力という基礎力を上げる努力をしなければならない。

普段使い慣れていない言語を記述するという点では、こちらも英語と同じではないだろうか。最初はたどたどしい英作文で、到底ネイティブにはわからないような直訳英作文を作るのに物凄い時間がかかってしまっても、単語や前置詞の正しい使い方や例文の型を覚えながら、徐々に英作文に慣れていき、記述というものに苦手意識がなくなってくるものである。

数学も、色んな回り道をして、それでも解けなくて、解法を見て納得して、だんだん最短ルートで答えを出せるようになって、計算も早くなってくるものである。ケアレスミスは三単現のs忘れ、計算ミスは単語のスペリングミスのようなものだろう。英作文同様、演習を重ねて何がいけなかったかを踏まえまた演習を重ねるという応答を繰り返さなければ、計算力が上がっていかないのはもはや自明である。

計算力を上げるには、自分が解ける最速のスピードを出し続け、いつミスするか分からない緊張感の中で、正確な答えを出すという練習をすることである。バスケを7年間やっていた時に、練習で狙いすまして打ったシュートが入るのは当たり前、試合でディフェンスが目の前にいる状況で、素早いモーションで打ったシュートが入るように、試合のための練習をしなければならないと言われてきたことと似ているのかもしれない。本番で焦りや緊張を感じながらトップスピードで解くのに、普段はたらたら解いていて本番でミスせず解けるわけがないのである。以上のことをまとめると、数学は基本的に暗記科目で、また論理的な言語であるため、解答の基本構成を理解した後、解法の暗記をし、計算という記述力は速度を上げながら正確さを増していかなければならない。

(K.F)

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